2011年東日本大震災直後のボランティア活動のリーダーと再会しました

カナダのバンクーバーの大学で学習中に北日本の三陸海岸沖で起きた大地震による大津波の被災で日本全体が大混乱に陥ったことを知って、私は急遽日本に帰国し、ボランティアとして被災地応援で7回も宮城県気仙沼市に出掛けたのですが、その時に世話になった佐藤さんが、その後、着手された草加煎餅の小売店の経営を切り盛りされている現場を訪ねました。被災地での彼との出会いで経験した貴重な思い出は書き切れないほど沢山あるのですが、今日は一つも書かないことにします。

今年のYMCA英語教室での生徒の学習態度は見違えるほど良いので楽です

今日から新学期で私がアシスタントとして世話するクラスの生徒は小学5〜6年生で、従来のクラスとは比較にならないほど規律正しく和やかな学習姿勢を示してくれたので、従来よりも良い希望が持てそうです。

過去3年間拙宅の近くのYMCAの英語教室で帰国子女の英語力維持を主目的とする授業のアシスタントして関わりを持って来たのですが、先月をもって、そのクラスが生徒数不足を理由に閉鎖されてしまいました。代わりに学校では私に何か別の授業を受け持てないかとのオファーをいただいたのですが、私自身が後期高齢老人であり何時病などで継続が不能になってしまい迷惑を学校と生徒に掛けることになっては申し訳ないし、そもそも、学習成果に責任を持たされるのは無償のボランティアとしては相応しくないし、この歳で報酬を得ることに興味がないので、断っていたので、どうなるかと思っていたら、火曜日の夕刻の同様の授業で応援する仕事のオファーをもらったのです。

昨日は、新年度の最初の授業でした。帰国子女で塾通いと重ならない時間なので、登録生徒数が4人と少ないのは当然と思われました。しかし過去の少し年齢が低い子供達ではなく、小学5〜6年生の11〜12歳なので、今度の生徒の学習態度はかなり良くて安心しました。年齢が10代始めの頃までの子供で、特に、男の子の多くは授業への集中度合いが低く教える側が手こずり時にはどうしようもなくなるのが私の経験でしたが、昨日は、最初の授業日であったからかもしれませんが、集中力が長続きして、授業の進行もスムーズでしたから先への希望が明るく持てました。

学校からは、かねてから、私が希望を出していた、「より高学年の学生や社会人を対象とする学習相談所の開設」について真剣に検討したいとの申し出を受けているので、その可能性に期待を持ち続けているところです。英語を学習する過程で遭遇している各種の課題について、何らかのアドバイスや並走の機会を提供したいとの私のささやかな希望です。勿論、ボランティアとして無償で奉仕したいと思ってのことなのです。

統一地方選挙では投票候補者を納得して決めて投票するのは至難です

私の居住地は横浜市。県知事と県会議員と市会議員の3種類の議員の選挙となりましたが、候補者の信条や提唱内容などを理解する手間など取る時間がないままに投票に臨まざるを得ず、今日もかなりいい加減な参政権の行使にならざるを得ませんでした。

今日は、車椅子に乗って投票することを希望していた闘病中の妻を投票場まで連れて行って、その希望を叶える手伝いをしました。彼女は支持政党を明確にしていたので迷いがなかったようでしたが、私はバラバラでしたので、納得度が薄く達成感など無かったです。神奈川県知事選など候補者が2人では始めから結果は分かっているようなもので興ざめでした。3選の確実な現職知事の驕りを牽制したくなりました。

妻はいつも車椅子の乗って生活している訳ではなく、殊に、戸外で車椅子の乗ることなど滅多にないので、私自身が車椅子の操縦に慣れていませんでした。それ故、投票所まで辿り着くのにかなり苦労してしまいました。到着した小学校の体育館の中は平坦なフロアーでしたから起伏もなく操縦に何の困難がないところでしたが、彼女の車椅子に乗っている姿を見つけた、選挙管理委員らしい男性が、「奥様の投票の補助をしましょう」と近寄って来たので任せましたが、私は、「そんな簡単で楽な手伝いよりも、自宅から投票所までの途上の坂道で車椅子を押して欲しかった」と思いました。

妻は、国民として参政権を行使できたことからの満足感を噛み締めて、大いにご機嫌でした。気分転換にもよかったようでした。

カルロス・ゴーン氏の4度目の逮捕を大ぴらに批判できる民主主義国家の日本

我が国日本では、国家権力に怯えて、政府や警察への批判が禁止されたり躊躇した時代が本当に過去の物になっている健全性の爽やかさと誇りに、今更ながらに感慨を覚えているのは私だけではないでしょう。

テレビなどのマスメディアで、外国人が国家権力に翻弄されている事実を良しとしない論評が躊躇なく報道されていることは、民主主義がかなり高度に機能している証拠でしょう。

ゴーン氏の守銭奴的な振る舞いはかなり事実であり、日本の大企業が餌食にされていることの心地悪さがあるにしても、このような権力への躊躇のない非難は今までに目立つことがなかったので快さを感じている訳です。

新元号の発表で、今日から『令和で最初・・・』のセリフで気取るのでしょうか?

ようやく新元号が決まり、「平成最後の・・・」が聞かれなくなりやれやれですが、今日からしばらくは、「令和で最初の・・・」の気取ったセリフが耳障りに横行すると思うと始まる前からウンザリしてしまいます。

日本人というのは、本当にお祭り騒ぎが好きな民族ですね。

久し振りに大阪在住の同期の友人と会食しました

私用で大阪の自宅から東京に数日逗留するとのことで再会すしたのですが、場所はJR品川駅近辺のタワービル。軽く昼食を取り、その後、近辺のTully’sコーヒーショップでカプチーノをすすりながら、結局、延べ約3時間、彼自身が実娘のために立ち上げた訪問看護ステーションの運営内容の情報はいつも通りに参考になりました。

このブログでも昨年末以来時々話題にしている同年入社・定年退職した友人の闘病と今後の生活応援などについて意見交換をしました。幸いに二人とも表面上は健康体なので、前向きな話題ばかりで楽しかったです。

ところが、彼と分けれて携帯電話をどこかに置き忘れたことに気付いたので、心当たりの上記の懇談場所に直行したところ、最初の二人で昼食をしたレストランの食卓の下に落ちていたのを店員が見つけて保管してくれていました。私の所有物であることを証明するために、別の手持ちのスマホからその電話にダイヤルしようとしてら、番号を覚えていなかったので、拙宅に居る妻に教えてもらったりして慌てました。要するに、そのレストランでの支払いに友人が急いだので、私の注意力が散漫になったので、電話機が床に落ちる音に気づかなかったようでした。

折からの加齢に伴う不都合を話題にしたので、自分自身の老いが更に進行したのかと思い、些か、気分が落ち込みました。

25日に申請した比国向け車椅子寄贈の認証宣書を受け取って来ました

即刻、東京・六本木の比国大使館の近辺にある郵便局から国際郵便宅配便で通関して現地の障害児施設に寄贈するパートナー宛に送付手配をしました。当該貨物を載せた船が4月5日にマニラ港に到着する予定前の2日には、そのパートナーに届くはずです。

今度の寄贈で、当国に送り込んだ車椅子は930台になります。あと一度送れば、累計で1千台を超えることになります。

ついでに満開を宣言された東京の千鳥ヶ淵の桜を見て来ました。ソメイヨシノ以外の桜の木は満開ではないせいか、本当の満開の景色には程遠く物足りない感じがしました。しかし、平日にも拘わらず、結構人出は多かったです。曇り空のために写真の写り映えは暗くて良くありません。

本年2度目の車椅子寄贈の認証の申請を比国大使館で済ませて来ました

勿論、寄贈品は90代の子供用車椅子ですが、恵まれない人々の福祉向上に資す目的の寄贈である場合には、被寄贈者の金銭的な負担の軽減のために、自国で課される関税を免除してもらう手続きを求めるのが通例なので、私の所属するNPOは送り主として、寄贈証明書を発行して、それに外務省の係官のサインと認証印を付与してもらった後に、寄贈される国の在日大使館で領事査証を取得して、その査証付きの寄贈証明書を相手国のパートナーに送って貨物の通関に使用してもらいます。

この手続きが些か込み入っていて、私はフィリピンに寄贈品を送る場合には毎回、最低、3回在日フィリピン大使館に足を運ぶ手間を取ることを引き受けています。今までに、こうしたことを数回扱って来たのですが、いつも、3回、居住地の横浜市から東京都下の立川市と都内の六本木に足を運んで来たので、その負担を減らしたいと考えて、昨日、それを2回の往復で済まそうしたのですが、結果として、かなりの体力を消耗してしまいました。

自慢することでもないのですが、先ず、いつもの通り、外務省の認証印を得るところまでの手続きを会の創始者である会長に引き受けてもらい、それ以降の作業を私が担いました。外務省の認証印を取るためには、彼が寄贈宣言書に送り状とパッキングリストを加えた3点セットを揃えて、所轄の立川市の公証人役場に出向き、公証人の面前で署名して、その場で、「私の面前で署名をするのを確認した」という趣旨の文章に公証人が署名を施すのです。ところがそれで儀式みたいな作業が終わる訳ではなく、その公証人の署名が真正なものであることを東京法務局の所長が確認して所長の確認印を押すのですが、それまでの「署名した」とか、「確認した」という文章は日本語で印刷された物です。そして、確認文に付された署名と押印が「事前に登録されているものと同一のものである」ことを、、証明する英文の文書に署名が施されます。この外務省による英文の真正証明書と署名が、フィリピン大使館が重要視するものなのです。そして、それらの全てのページがホッチキスで綴じられて各ページの綴じ目に証印が割印として押されて「1組の公正証書」として完成します。

その公証済みの書類を私が六本木の比国大使館の公証窓口に持ち込むのですが、その時に、上記の公証役場で公証された書類の表裏面全てのページをコピーして写し、添付用の副本の1通として添えて、合計正副の2通を提出せねばなりません。

ところが、その副本の1通を作成するのに予想外の手間を掛けねばならず、今回も苦労をしてしまいました。合計5枚構成となっていた正本書類を止めていたホッチキスの留め金を外して、1ページずつ、裏表をコピーするのに、連番となる前ページの裏面と次のページの表面に押されている割印の位置がほぼ同位置に合わさるようにコピーする要領が上手く得られていなかったからです。 [続きを読む...]

白内障の進行度合いを確かめるために眼科医の診断を受けました

2年近く前に白内障が進んで来ているのか、パソコンを操作すると右目を使わずに左目だけで画面を見ていることが継続してしまい、右目に映る場面が邪魔になり、いつの間にか右を目閉じて左目だけに頼って操作していることがしばしばになったので、行きつけの眼鏡店に行って何とか矯正できないかと症状を訴え改善をお願いしたのですが、結局、その店では、眼科医に診断してもらって、処方箋を発行してもらって再度店を訪問するように言われてしまいました。

そして私の居住地で評判の良い眼科病院に行って診断を受けたら、私の目をみるなり、即に、「ああ、これは白内障が進行しているからだよ。半年ぐらい経過して、また、来てごらん。それ次第で、白内障の手術をしてあげる」と気楽に言われました。しかし、その眼科医により白内障の手術を受けた後に新調したメガネの度が上手く自分の視力にフィットしないと感じた知人が、更に一年ほど我慢した後に、友人の勧めにより訪ねた別の眼鏡店で新たにレンズを購入した所で、「あなたの手術をしたのは、後継者に当たる医師であったはずだが先代の医師とはかなり腕が劣る息子だったからダメだったのだよ」という手厳しい評価を受けたと私に伝えてくれました。 [続きを読む...]

子供用のカーシートが寄贈に適しているかを議論しています

昨日、明後日に予定されている車椅子の整備作業は、今年度のフィリピン向けの2回目の80台余の寄贈に向けたものになるのですが、そこにカーシートを20台ほど含めても良いかとの問い合わせを受けました。

カーシートというのは、自動車の移動の際に幼児や児童をしっかりと乗せるための座席でして、特別に肢体障害児用に作られたものではなく、正常な普通の子供を座らせるために車内の成人用の座席の上に固定する物なのです。日本ではかなり普通にカー用品店で売られているもので、それらは肢体障害児の居る家庭でも購入されて使われているのですが、子供の成長に合わせて買い換えられ、使われなくなった物を私の所属するNPOに寄贈される車椅子と共に回収されて来ます。

数量はあまり多くないのですが、年間で20〜30台ぐらいになるのです。しかし、海外、特に、発展途上国では障害児の生活する家庭で自動車が所有される例は、先進諸国に比べると極めて少ないので、私たちのNPOにカーシートの寄付を海外から要望されることは滅多にないので、行き先の定まらないカーシートが倉庫に滞留して来たのです。

フィリピンにも寄贈されたことがないので、私は、直ぐに、同国での寄贈に協力してくれているパートナーにカーシートの寄贈を希望するか否かを問い合わせたのですが、反応は余り前向きではありませんでした。

考えてみるとこれらのカーシートは障害児家庭ではない、一般市民の家庭で必要される例が多い訳ですから、不用意に現地に送り込むと、一般家庭に寄贈されたり売られてしまう懸念があると私は予感していました。

いつも私の要望には快く応じてくれる比国のパートナーですから、寄贈を受けると返答をしてくるでしょうが、上記のような曖昧な寄贈になるのは私の本意ではないので、この件は、実施に送り込まないのが適切だろうと思っているところです。