国際福祉機器展で車椅子の補修部品やリハビリ器具を見て来ました

東京有明付近のビッグサイトで参加団体数、展示数など過去最大の盛況展示面積との振れ込みで二日目の中日で来場者も大勢でしたが、私の関心は介護関連機器で、特に車椅子とリハビリ器具と車椅子を搭載できる自動車、そして、車椅子の補修部品のメーカー探しでした。

そして、シンポジュウムでの「介護福祉のアジア諸国の現状と課題」の議論を聴取したかったのですが、事前の視聴を申し込んでなかったので、会場に入れませんでした。

車椅子の部品メーカー探しは、私のボランティア活動の「子供用車椅子の海外への寄贈」で苦慮している補修部品の入手価格の引き下げへの糸口を見つけることに関係しています。

殆ど全部の車椅子の日系メーカーが台湾製の部品を使用している事実があるので、私の所属している車椅子の海外への寄贈では、フィリピンやタイやマレーシアでは使用済みの車椅子を現地でリサイクルするためには、補修部品の入手が重要になりますが、その入手コストが高いと大きな支障を来たします。特に、補修部品の価格が不当に高額に規定されている日本でそれらを入手すると私の所属するNPOの財政を大いに圧迫して来ますので、それらを安価に入手する手段を講じねばなりません。

そこで、台湾から日本に営業拠点を設けている輸入業者を見つけたり、それらの母国(台湾)の本社工場の所在地を見つけることが必要になり、その役目を私が引き受けることになったのです。今日は、3社の所在地を見つけることができましたので、今後、彼らと連絡を取り、買い付け交渉をする予定です。

その他の私の関心事は、肢体障害者の運動能力回復のためのリハビリ器具の展示を見つけることと車椅子を搭載し運搬で聞く機能付きの自動車の発展振りを確認することでして、限られた時間で、一応それらについても情報を得て帰宅することができました。

特にリハビリ器具については、パーキンソン病で歩行機能を大きく失って来ている拙宅の妻のニーズに合うものを探すことになり、歩行器だけでなく、クルブシの筋力増強に役立つ「手すり付きのトランポリン」などに私の関心が集中しました。

それから、我が家のニーズには疎遠ですが、車椅子を運搬できる機能付きの自家用車がレンタルで利用できるように数機種が展示されているのに目が移りました。トヨタなどのメーカーが、そうしたレンタル用の自動車を販売していることを発見しました。

展示会は明日が最終日ですが、来年も秋に催されることが確定していますから、再び、行って見るつもりです。

昨日は高齢者介護の研究会で外国人介護士の活躍事例を学びました

忙しい1日となりましたが、東京の高田馬場まで行って学習しました。我が国の困難な国家試験に合格して介護士として活躍しているフィリピン人の実体験など刺激的な事実を知る機会となり有意義でした。

また、彼らの学習、特に、日本語の習得を支援する日本人の関係者の話も参考になりました。

少子化と高齢化の進行で顕著な介護士不足を外国人を訓練して補おうとしながら、彼らの滞日期間を制限していることの不可解さが指摘されました。日本人の減少傾向の労働人口だけでは人材不足に対峙できるはずがないのだから、思い切って外国人の受け入れに柔軟にならなければ、問題解決ができないだけでなく、苦労して介護士資格を得て働いてくれる人々を滞日期間に制限を付ケズに半永久的に日本で働いてもらうことに踏み切るべきであるとの主張に多くの聴衆が合意しているように感じました。

次回の学習機会は12月に訪れますができるだけ都合をつけて出席するつもりです。

パワーポイントで20駒のスライドを作成し説明しました

昨日、YMCAの帰国子女対象の英語教室で私のちょっとした労作を披露しました。しかし、10〜11歳の児童には世界史の中の大航海時代については少し難解だったのか理解度に不安が残りました。でも、担当の先生はとても感激してくれ、「自分の歴史理解が塗り替えられた」とかなり高く評価してくれました。

一方の生徒たちは、私が操作するスライドショーの発する光に掌を当てて、スクリーンに映る影に興奮するばかりで、私の説明に注意を集中せずに、何度も先生からたしなめられましたが、最後までやめませんでした。それでも、一人の生徒だけは、真剣に私の説明に聞き入ってくれたとのことで、私は、彼の関心を得たことに満足しています。

スペインが中南米諸国を征服した結果、現地の言語のすべてまで変えてしまったとか、苗字と名前までスペイン語になっているとか、コロンブスの西インド諸島の発見に感化され諸国が大西洋に繰り出しマジェランの船が太平洋を越えインド経由でスペインにたどり着いて「地球が球体である」ことを実地に証明したとか、地球規模で諸島の発見と交易の拡大が現在の経済・情報のグローバル化の発端になったとか、西欧から持ち込んだペストなどの伝染病が原住民の90%を死亡させてしまい、奴隷の捕獲作業が行き詰まり、結果として、大勢のアフリカ原住民が北アメリカの開拓に駆り出される原因になったなどに関心が集まり、主題の「何故、ラテンアメリカでスペイン語が国語になったのか」という問題への理解が霞んでしまったようでした。

私の話を聞いてくれた帰国子女達の視野が広がることに役立つことにつなげようとのYMCAの英語教室の意図が、彼らの将来に良い影響を及ぼすことになれば、私が費やした努力も報われるでしょう。

メキシコの国語がスペイン語になっている理由を英語教室で説明します

2ヶ月前に、私がボランティアで補助教官として応援しているYMCAでの帰国子女が学習する英語教室で使っている教科書に、「メキシコから米国に渡って来た移民家族の子供達が英語を覚えるのに苦労をしている」との記載のあるページを学習した時に、生徒たちに教師が、「彼らは母国でスペイン語を使っていたので・・・」と説明したところ、「え! メキシコ人はメキシコ語でなくてスペイン語を使っているの? どうして、そうなの?」と素朴な質問をしました。ところが、その教師は、「メキシコでは始めからスペイン語が国語です」と答えるだけで、「何故、土着の現地語が使われていないのか?」について説明をせずに、「そう、始めからスペイン語を日常語として使っているのです」と言って、生徒たちのそうした疑問について、明快な説明をしないで済ませたこと、そして、私が、「5〜600年ほど昔に欧州の国がアメリカ大陸などに出掛け始めて、「大航海時代(英語ではAge of Discovery)と呼ばれる時代が始まって、スペインがメキシコを始め中南米の国々を植民地化した」ことで「メキシコを始めとするほとんどの国でスペイン語が公用語になった」と話したことから、結局、その教師からの依頼で、8月か9月に、もう少し詳しい経緯を、生徒たちに私が説明することを引き受けたということを、このブログで報告しました。

その時が、今週末の29日、土曜日の授業の場に訪れることになったのです。現在、鋭意その準備の完成に努力しているところです。 [続きを読む...]

サボっていた拙宅の小さな庭の紅梅の木の枝の剪定を済ませました

今春の開花後に伸びに伸びた新たな枝を刈り取る時間がなくて、先日、近所の庭師に頼んだら、今年一杯仕事が詰まっていて来春にしか出来ないとのつれない返答を得たのです。

それだったら、自分でやろうと心に決めていたので、猛暑の去った昨日、実行しました。右の写真が作業前、隣が作業後です。素人ながら、みっともなさは消すことができました。

猛暑の夏が去り確かな秋の自然現象を味わっています

妻は自分の病がブログに掲載されるのを嫌っていますので、パーキンソン病の症状を紹介できません。私の日々は、彼女に寄り添う形で推移しているので、今年に入って投稿が途絶え気味になっていると言っては、言い過ぎで、毎日や時折でも訪れていただく方々に失望を繰り返してしまい申し訳なく心からお詫びします。

私は最近は家にいることが多いので話題が少なくなってしまい、お話したいことが見つけられずに苦悩しているのも事実です。

そうは言っても、昨日は秋の彼岸の中日でして、自然は季節を裏切らないので、拙宅の鉢の中に放置して来た彼岸花(曼珠沙華)が今年も見事に満開の姿を見せてくれています。花の構成が素晴らしく精巧なので、私の好きな花の一つです。

こうした季節の移ろいの情緒に心が癒されます。

スマホは高学年の小学生の勉学に大きな害を及ぼします

成人層の人々の生活姿勢に大きな変化を及ぼしているスマホの人類への浸透ぶりが顕著ですから、すでに、この害が10代の学生に及ぼしていることは十二分に想像できます。それが、スマホを買い与えられる小学生の高学年(10歳以上)にも及び始めていますから、彼らの親の注意力と見識が発揮されないと、人類の将来に大変な暗雲が覆い始めるのではないかと、この老人は憂慮し始めています。

昨日のYMCAでの英語教室で観察した感想ですが、夏休みを終えて教室に戻ってきたら生徒の勉学姿勢が極めて怠惰な方向に傾斜していることに驚愕させられたからです。

とにかく生徒達の授業中の注意力が散漫になって来たのです。先生の言っていることに真面目に耳を傾けられていない。教科書を読むことを自分に命じられたら、その時だけ、その指示に応じるだけて、それが終わると、膝の上でスマホをいじり出すのです。先生の言っていることをマトモに聴いていません。ゲームに興じたり、別の何かの画像に注意を注いでしまい、他の学生の読んでいる内容やそれに関連する先生の話なども完全に無視する状況でした。

そうしたよそ見を先生が注意すると、その時だけスマホから目を離すだけで、先生が本論に戻るとすぐにスマホに目を戻す。「スマホを机の下に置け」とか「カバンの中に戻せ」と言われた時だけ戻すが、すぐに、また、スマホを取り出すなど・・・ その悪い、新たな癖が止みませんでした。 [続きを読む...]

フィリピンでの車椅子のリサイクル活動の難しさに直面しています

年初からの最大の課題であった同国でのリサイクル活動が遅々として進まないことで苦悩しているのですが、考えてみるとその理由は事前に想定して慎重に準備して対応するべきなのに、かなり浅薄で性急なことを私は考えていたように今になって反省しています。

それは、児童の身体的な成長で小さくなった車椅子をよりサイズの大きな車椅子と交換することが、迅速に進行していないことです。使い古された車椅子がすぐに戻って来ないのです。使い古された車椅子が容易に回収されて、清掃・整備・修理を施す予定の作業場に到着しないという現実を予想していなかったからです。

その原因が何であるのかをフィリピンのパートナーがしっかりと把握できておらず、単純に到着を待っているだけで、時間が無為に経過してしまっています。なぜ、使い古された車椅子が戻って来ないのかを正確に調査していないと言わざるを得ません。各地に配布して、障害児の使用に供したはずの車椅子の所在場所、すなわち、把握しているはずの彼らの居住場所をしっかりと記録できていなかったのか、各地で受取り障害児童の自宅などに届けてくれた施設(サブパートナー)の管理体制がずさんであるからなのかの実態調査なり確認にまで追及の作業が出来ていないのかを把握していない可能性が高いのだと考えられます。障害児の家庭に配布した後の3〜5年間の管理状況が不十分であったのかもしれません。 [続きを読む...]

今日は、また、往復5時間余を掛けて車椅子の整備の月例会に行って来ました

行って来ました創業者の一人として大活躍した友人が急逝した後、私が、当のNPOで最年長になってしまったので、その行方が気になって、病身の妻の朝食を作ってから、自宅を後にしました。

今日はボランティアが70名余も集まってくれ、車椅子の整備作業が捗(はかど)りました。何故か、最近は、参加者が目立って増加気味です。口コミで近所のロータリークラブの会員や高校生や大学生、そして、小学生までが集まってくれます。口コミとホームページが人々の関心と興味を誘うのかもしれません。

友人の弟が渡比して滞在1ヶ月で苦境に陥りました

フィリピンで生活する願望にしっかりした心構えがなかったからだと私は考えているのですが、この男は覚悟と気配りが余りにも弱いようで気掛かりです。6月1日付のこのブログで彼が渡比したと記載したのですが、その彼が世話を引き受けてくれたフィリピン人夫妻と早くもトラブルを起こしたというか考えが合わずに離別してしまったのです。

日本でもらえる年金の範囲内で生活するという基本方針を、「それでは金額が不足するから僅かしか残っていない貯金の半分以上を比国に一括送金して、それを資金にして周辺の市民に高利貸しをすれば何とかなるから・・・」とそそのかされそうになってので、それに私がストップを掛けたのに、今度は、「数頭の子豚を飼育する小規模の養豚業をしよう」との誘いに簡単に乗ってしまい、その準備段階で意見がまとまらなくなり、それを取り止めようと言い合った時には、既に、最初の25万円ほどの初期投資金を巻き上げられてしまっているというのですから、全く困った御仁です。なぜ、事前に報告をしてくれなかった、そうすれば、少なくとも、書類を以って合意書を交わせただろうと悔やまれます。

それを私に知らせることなく、先週末には、マニラに立ち寄る用事があるので、今週月曜日に私の別の友人に会わせてくれと後ろめたさすら感じさせることなく、急に私に連絡して来たのです。

その友人は、去る2月に私がマニラに短期間行った際に会って、「こういう日本人がいるのだが、マニラの郊外に住む事も選択肢として持っているので、何か良いアドバイスをくれないか」と頼んだのですが、それに対して、親切にも、その友人は「自分が経営している日本風の居酒屋で短期間手伝ってくれても良いよ」と有難い案を提示してくれた経緯がありました。しかし、何を目的に、この友人に直接に会って相談したいのかを明らかにせずに突然会いたいというので、私は面くらいました。

そして、私は、この日本人をセブ島からマニラに向かう途上で、電話と電子メールで捕まえて尋ねたら、「セブ島で世話をしてくれていた比国人との関係が壊れてしまったので、別の土地に活路を見つけるために、ルソン島の横にあるMarinduque(マリンドュケ)島の島民に会った後に、マニラ在住のお前の当の知人に会おうと思っている」と旅の目的を知らされました。

こういう身勝手というのか、配慮不足で一方的に行動する性癖では、これからも避けられる問題を安易に起こし、苦労をしたり、最悪、フィリピンでの生活すら続けられなくなるだろうとの危惧が深まります。

「そんなことを急に言われても、あの日本風の居酒屋で手伝う話は立ち消えているし、また、その知人に会いたいと言っても、今日は木曜日、明日電話して頼んでも、週明けの月曜日に会えるかどうかも分からないのに無茶だよ」と私は思いながらも、「まあ、兎に角、会ってくれるように強くお願いしてみるよ」と、面会の機会を確保する努力を約束しました。この男の手前勝手さには呆れました。

案の定、結果として、彼らは会うには会えたのですが、マニラでの友人は既に他に重要な用事が詰まっていたので、2人の話し合いは30分足らずで終わり、何の成果も得られなかったようです。結局、この日本人、マリンドゥケでもマニラでも期待した結果を得られず、セブに戻ったのです。私も、こういう手前勝手な無思慮な立ち振る舞いに手を焼いてします。