広島市の土砂災害での捜査隊の献身的な仕事を称賛する機会を今・・・

 行方不明者を生きて救出できなかったことは残念ですが、あと2名を残すまでに、行方不明者の遺体が迅速に探し出されたのはさすがに我が国の救済体制がしっかりしていることを示してくれたと言えます。東日本大地震の場合と異なり被災範囲が狭かったことと津波災害ではなかったので人々や建物が押し流された範囲も土砂の痕跡などで推測が容易であったなどの理由はあるのでしょうが、捜査隊の仕事は迅速だったという印象を強く受けています。

 私は全ての遺体が見つかるのが近いと信じて、その時を待って、彼等の仕事振りを称賛させてもらおうと思って待っていたのですが、今日までにそれが叶わないことが明らかなので、そうした称賛の意を表す機会を失ってしまうと、その気持ちを忘れかねないので、今、それを表明させてもらいます。。

 先の韓国での遊覧船の転覆事故やマレーシア航空の2度に及んだ墜落事故などでの遺体の収容作業の進捗状況の報告や報道が曖昧にされたまま、今では、それらが放置されているかのように、私たち人間の関心や記憶は容易に消え去るものです。勿論、どの事件でも犠牲者の方々の遺族の悲しみは消え去っているはずはありません。

 事件後に過ぎ去った日々はまだ少ないですから、それらの人々の悲しみは維持され、場合によっては倍加されているのでしょうが、一方の部外者は、そうした事件と遺族の悲しみを日を追って忘れ去って行くのですから、そこにも人間の性の浅薄さと空しさがあります。若しかしたら、遺族の方々はそうしたはかなさを密かに自分たちだけで噛み締めておられるかもしれません。

 当事者でない私には、遺体が探し出された場合とそうでない場合とで、遺族の悲しみにどのような差があるのかを推測することが出来ないのですが、遺体確認の有無が遺族の納得の度合いに差を生じることは明らかにあるだろうと想像しています。遺体確認が、悲しみにある種の区切りをつけることの助けになるだろうと、私は自分の僅かな経験から、そのように思うのです。

 ですから、殆どすべての遺体を遺族に確認してもらえる状態を作り出した広島市の災害の捜査成果が、私の心の中のご遺族への同情の念に或る種の安堵感を覚えさせています。

 こうしたことを、ここで述べること自体、大した意味がないのかもしれないのですが、今日も継続している捜査隊の懸命な働きに、私なりの認識をこういう形で書き留めておこうと思ったのです。

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