高齢者でも役立つことがあることを教えられました

昨日のYNCAの英語教室でのアシスタントの仕事は相変わらず何もしないまま終わってしまった気がいつも通りにしていたら、帰り際に米国人の教師が掛けてくれた、「今日も有難う」との言葉に、私は、「何も役立つようなことが出来なかったのに恐縮です」という意味合いの返答をしました。すると、「いや、あなたが教室に居てくれたことが、役に立っているのです」と返して来ました。

「その言葉、どこかで聞いたことがあったなあ・・・」と思い出したのが、私がカナダの大学で勉強して居た5年前の恐竜化石の授業の後に、教授から掛けられた同じような言葉でした。それは、「あなたが私の授業の場に居てくれていることで、どれだけ良い影響を若い学生たちに及ぼしているかという大きな価値なのですよ。へこたれずに頑張ってください」という言葉だったのです。

カナダで掛けられた教授からの言葉は、私が全く馴染みのなかったラテン語系の専門用語、特に、骨とか恐竜の名前などを少しも覚えられずに苦戦していて、教授に、「私は授業について行けない」と愚痴をこぼした時に、教授から受けた慰めの言葉だったのです。

こんなことに出会うと、「高齢者でも世の中の役に立つことが身近にある」という実感を抱けるものです。上記の2つの実例は、それぞれ少し異なる意味合いがあるのですが、昨日の英語教室では、10〜12歳ぐらいのやんちゃ坊主で自制心の働かない男児達が、授業開始後30分も経つと飽きて来て、体をモソモソ動かし始めたかと思うと、中には、机の上に上半身を被せたり、やがて、椅子から立ち上がり隣の席の男のクラスメートにちょっかいを出し始めたり、席を立って教室の後方に走って行き、明らかに先生の言っていることが耳に入っていないことが明らかになります。

そんな時でも、私は担当の先生に処置を全面的に任せることに決め込んで何も言わないで、生徒の態度の乱れが度を越して先生が注意するまで、黙っていることにしています。そのような無為の私なのですが、先生は、それでも翁としての私の存在が何らかの抑止力を働かせていると感じているのでしょうか、「何もしていません」という私の返答に、「いや、あなたの存在に意味がある」と言われます。

「それならば、当分、今のままの姿勢を続けてみよう」と思っています。老人の役割が、そんな自然体でも、果たせるのなら、これほど気楽で幸いなことはありません。老体が、そういう形で役に立つ、というのに何だか嬉しい気分になったのです。

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