帰国子女の英語力維持のための授業の支援ボランティアに飽きて来ていました

今日の土曜日も朝9時から11時半まで傍聴しながら先生の補助をして来ました。今学期から教師の受け持ちクラスが増えてしまったので、授業の直後に打ち合わせたり意見交換する機会がなくなり、些か自分の貢献度の無さに満たされない気持ちを抱くようになって来た昨今でしたが、今朝の授業での教師を支援するチャンスを見つけて、生徒たちに細く説明をさせてもらい、少しは生気を取り戻しました。

場面は、今年の新しい教材が、メキシコの家庭で父親が失職した結果、一家が国境を超えて米国で生活を始めて就職先を探そうということになり、学童である家族が不安を抱えながら故郷を離れるという話の設定で、子供達が孤独と不安な日々を送らされる箇所での議論になったのですが、子供達が英語の社会に飛び込んだ生活環境を生徒たちが良く理解できていないことが明らかになり、そこで、担当の日本人教師が苦労し始めたことを私は察知したのです。

教室の小学5〜6年生の生徒たち(帰国子女)はメキシコでスペイン語が日常語になっている事実を知らなかったのですが、教師が「スペイン語がメキシコで話されている」歴史的な背景をしっかりと知らないために、生徒たちに「何故、メキシコでスペイン語が日常語になっているのかを明快に説明できなかったのです。

要は、米国語は教えているけれども、「何故、米国では英語が、メキシコおよびブラジルを除く他の中南米諸国ではスペイン語が国語として、即ち、日常語になっているのか?」の歴史的な背景なり理由をご存じないという事実が表面化したのです。

幸いにも、私は、世界史の知識、西洋史での大航海時代の一般知識を所持していますので、数年前にカナダで學んだ人類学にまで触れなくても、小学生高学年の児童に説明するのは容易でした。

蛇足ですが、この有能な英語教師は、英語は会話と読み書きは堪能なのですが、こういう弱みを持って居られたのです。若しかしたら、このことは他の多くの英語教師にも当てはまるのかもしれないという新発見をした訳です。

年齢的には当該の学童には少しばかり早いのかもしれませんが、米国のトランプ大統領が躍起になって、「メキシコ人の不当入国排除の政策」を唱えていることの意味を生徒に教える格好の場面が教育の場に現れて来たのに、それを簡単に逃すことになりそうになったのです。

一般の義務教育の場でのみならず、課外学習を提供するYMCAで、こういう貴重な学びの機会を学童が得られるとしたら、当該の学童のみならず彼らの両親もさぞかし、その境遇の幸いを噛み締めてくれるはずなのですが、「私が居なかったら・・・」と言ったら大袈裟な自画自賛になりますが、なんだか私も失われていた満足感を取り戻せた気になりました。

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