複数のことを忘れないですることが困難になって来ました

複数といっても僅かに2つのことなのですが、片方を忘れて別のことに着手するというか、行動を移してしまい、失敗しました。単なる高齢によることなのか認知症に陥ったのかと不安になります。

今日は、同じ病院で30分間隔で腎臓専門医と内科医との予約を消化せねばな利ませんでした。腎臓専門医には初めての診断を最初に受けたのですが、受付窓口で健康診断書を提示し、それが返却された直後に血圧測定を急がされたのが切っ掛けでした。

返却された保険証を収めた透明ファイルを自動血圧計測器の脇に用意されたカゴの中に置いたまま、計測を終えた途端に受審番号が呼ばれたので、急いで診察室に入ったのです。この病院の内科医との前回の診断の際に「血液検査の度に少しずつ腎臓関連の数値が上昇しているので、専門医に診て貰ったらどうか」と勧められての予約に基づいての今日の診断の機会でした。

今日は計測した血圧が、133、72と正常値だったので、嬉しくなったのも一因で、ファイルの置き忘れに気づかなかったのです。最近は上の値がしばしば150を超えることが重なっていたからです。

当の忘れ物のことを思い出したのが、次の内科医の診療室の前で自分の順番を待機していた時でしした。

内科医の診断が終わった後に直ぐに失せ物探しを始めたのですが、どこで紛失したのか全く思い出せずに遺失物担当室を尋ねても、今日訪ねた内科医、腎臓医師、採血室などを尋ねても届いておらず、途方に暮れそうになって最初の腎臓科の事務所を再度訪ねたところで、血圧計測機が目に入り、記憶が蘇りました。上記のファイルに似た物が脇の手荷物置き用のカゴの中に有るのを認めました。

幸いなことでした。私が計測した後に訪れた患者さん達が拾って行かなかったのです。

落ち着きのない私の性格が災いしているのか、物忘れ癖が嵩じているのでしょう。何れにせよ助かりました。

昨日の水泳見守りでは例の男児が泳がずに水中歩きに徹してしまいました

昨日の彼は気分が乗らなかったようで私は全く役立たずの感じを抱いて帰宅しました。彼はスポンジ製の浮き板を掴んでの通常姿勢と背泳のバタ足のそれぞれ100mずつの足慣らしの後は、「疲れた」を連発して、水中歩きをしたり、チーフ・インストラクターの指示を無視して、他の仲間が先にどんどんと泳ぐのを無視して泳ぎをせずに、私を困らせました。

最後の25mの往復だけ、得意のクロールで泳いでくれましたが、得意の水中ターンも封印して、終わりました。事後、他の児童の泳ぎを見守った父親に報告すると、「時々、気分が変わってしまい、そういうことが起きるのです」と説明してくれましたが、当の坊やは口数が少なく、「嫌われたのかも知れないな」という思いを私に抱かせてくれました。

そういう訳で当の私は、彼の水中での緩慢な進行のお陰で、いつものようには両足の脛に痛みを感じることがなく、支障なく水中歩きができました。皮肉なことでした。

85歳の老ピアニストは楽しそうに演奏をして喝采を浴びました。

前日に私の居住地のJR最寄駅のそばで83歳の翁が歩行途中で気絶したのを介助した時に、丁度一年前に同じように前方にバッタリと倒れてしまった彼女のことを思い出したのですが、そのピアニストによるピアノ演奏をたっぷりと堪能しまっした。

10年ぶりに会場で会った彼女の義弟によると、昨年の転倒事故での後遺症が全くなく、その後も元気にピアノ演奏を中心として生活されて、昨晩の演奏会に向かわれているとのことでした。昨晩の演奏会には例年になく聴衆の数が多く、東京文化会館の小劇場の椅子の8割ほどが埋まっているぐらいの大盛況でした。おそらく、私と同様の心境で、彼女の健康状態を知りたいとの好奇心と、高齢でも止むことを知らない情熱を応援したいとの気持ちで、今年の演奏会に参集したので、会が盛り上がったのでしょう。

選曲が良かったのか、円熟した演奏技能がそうさせたのか、ゆったりした余裕のある雰囲気が醸し出され、また、年齢を感じさせない指さばきに私は魅了させられました。彼女の演奏会で従来になくリラックスさせられる気分で、2時間弱の独演を楽しみました。

恐らく、この調子で、彼女は永年現役で通されるでしょう。私も何だかんだ励まされた感じを持ち帰りました。

子供用車椅子の海外寄贈活動の立役者が急逝しました

海外の肢体障害児の使用に供するための車椅子の海外への寄贈を可能にした功労者を失うことになったのは非常に残念です。腎臓の一つの摘出手術を数年前にしていたのですが、何やら腰だとか背中が痛くなったとのことで最近は動きをスローダンしていたのですが、神奈川県立がんセンターに検査入院したのが長引いていました。見舞いに行きたいと申し出たのに対して、「そこまでしてくれねばならないほど大げさなことではない」と言って当人が強く拒んだので、控えていたのです。

体重が減って痩せて来たとの噂も聞いていたので、「かなり悪いのでは?」と懸念していた矢先の訃報でした。昨日の午後2時に息を引き取ったとも、直接の死因は心臓発作だとか呼吸困難だったとも聞かされたので、何れにしても衰弱して来ていた体を支える器官が負担に耐えかねたようです。

享年80歳とのことなので、馬力のあった彼も歳並みに体が消耗していたのでしょう。

通夜の営みのない告別式だけの外向きの葬儀が来週27日に予定されました。

冥福を祈るばかりです。当のNPOの活動での変化は不可避です。

目の前で老人が腕で防御もせずに前方にバッタリ倒れ動かなくなって・・・

昨日の昼下がりのこと、拙宅の最寄りのJR戸塚駅前のメガネ店を出て駅につながる地上3階の高さの広い歩道橋を歩いていた私の眼前10mぐらいの前方でした。太った男性老人が、急に、手もつかずに前に倒れ込むのを見ました。丁度1年前に、知人の義姉の85歳前後の女性ピアニストのピアノリサイタルでの全曲の演奏が終り、花束授受と演奏者本人の挨拶の直後の退場の一瞬に、彼女が前方にバタッと倒れ込んだ光景を思い出しました。あの時は、ロングドレスの裾を自分の足で踏んでしまって無防備に転倒されたのでした。

昨日のその男性、立ち上がる気配もなく身動きをしないまま2〜3秒、否、5秒(?)、脇を通った通行人の誰もが一瞥するだけで助けの手を差し伸べる気配がありませんでした。一瞬のその間立ち止まっていた私は走り出して、彼の前にしゃがみ込んで声を掛けたのですが無反応だったので顔を近づけて、「大丈夫ですか?」「どうされたのですか?」と尋ねていたら、後ろから男性の通行人が2人駆けつけていて、「体を起こした方が良い」と言って、その老人の体を引っ張り上げたのですが、当の重い体重の老人は膝を曲げないので、硬直状態のように、とうとうそのまま、立ち上げられてしまいました。

すると意識が戻って来たのか急に体重を重く感じたのか、その場にしゃがみ込みました。その時は既に助っ人が私を含めて4人になっていました。その中の誰かが発した「後ろの柱の下に寝かせた方が良いよ」という声に一同が応じて柱に上体を傾けて座らせようとしたら、傍に体が傾き、コンクリートの地面に倒れ込むので、そのまま、体を横たえてもらいました。両目を空いて瞬きし始めたので、「分かりますか? お年は幾つですか?」と尋ねると、「83歳」との返答。

「でも、額の奥が赤く見えるから内出血しているよ」と誰かの声。すると、「救急車を呼んだ方が良いよ」との別の声に「私が呼びましょう」と私は手持ちの携帯電話で119番を掛けました。 [続きを読む...]

帰国子女の英語力維持のための授業の支援ボランティアに飽きて来ていました

今日の土曜日も朝9時から11時半まで傍聴しながら先生の補助をして来ました。今学期から教師の受け持ちクラスが増えてしまったので、授業の直後に打ち合わせたり意見交換する機会がなくなり、些か自分の貢献度の無さに満たされない気持ちを抱くようになって来た昨今でしたが、今朝の授業での教師を支援するチャンスを見つけて、生徒たちに細く説明をさせてもらい、少しは生気を取り戻しました。

場面は、今年の新しい教材が、メキシコの家庭で父親が失職した結果、一家が国境を超えて米国で生活を始めて就職先を探そうということになり、学童である家族が不安を抱えながら故郷を離れるという話の設定で、子供達が孤独と不安な日々を送らされる箇所での議論になったのですが、子供達が英語の社会に飛び込んだ生活環境を生徒たちが良く理解できていないことが明らかになり、そこで、担当の日本人教師が苦労し始めたことを私は察知したのです。

教室の小学5〜6年生の生徒たち(帰国子女)はメキシコでスペイン語が日常語になっている事実を知らなかったのですが、教師が「スペイン語がメキシコで話されている」歴史的な背景をしっかりと知らないために、生徒たちに「何故、メキシコでスペイン語が日常語になっているのかを明快に説明できなかったのです。

要は、米国語は教えているけれども、「何故、米国では英語が、メキシコおよびブラジルを除く他の中南米諸国ではスペイン語が国語として、即ち、日常語になっているのか?」の歴史的な背景なり理由をご存じないという事実が表面化したのです。 [続きを読む...]

メガネ着用の条件が付かずに自動車運転免許証の更新ができました

加齢が手伝って白内障が進行しているので視力検査が裸眼でパスできないかと懸念したのですが、一発合格と言われ、従来通りにメガネ着用の条件が付かずに更新できたので、少しばかり拍子抜けしています。

念のために事前に行き着けのメガネ店で視力検査をしてもらったところ、両目でかろうじて0.7だが1〜2問に間違いがあったけれども、「警察の視力検査は緩いから何とかなりますよ」と店員に励まされて行ったのにアッサリと合格したのでびっくりしました。

新たな免許証は1カ月後に交付されるのですが、3ヶ月後の9月でも受け取れるとのことです。

これで先延ばしにして来た白内障の手術をいつでもできるのですが、やはり急ぐ必要はないだろうと思っているので、また、のらくらの怠け心が芽生えそうです。

昨日、自動車運転免許証の更新前に高齢者に課された講習会に出て来ました

すでに、認知症の検査では問題なしの通知を受けたのですが、加えて、その合格者全員に講習会出席が義務付けられていました。それを最寄りの自動車教習所で受けるのです。理由は分からないのですが、1ヶ月以上も先にならないと受講の機会が得られませんでした。私の場合は、すでに誕生日が過ぎ去っているのですが、更新期日が2週間後に来るので、何とか間に合いそうです。

昨日は、2時間の予定でした。午前9時10分に受け付けられ、いきなり最初に自動車運転技術点検が始まり、私が最初でした。運転コースを知らないまま、最初にS字カーブの通過でした。突然のことで、左折して入るところでハンドルを早く切り過ぎたので、落輪はしなかったのですが、わずかに左後ろの車輪が少し柵の端を乗り越えてしまいました。

その他は、後方車庫入れ、一時停止、徐行、進行レーン切り替え、等々、全て問題なして、「丁寧な運転でした」と言われてもちろん合格しました。同じ車に乗らされた残りの2名の受講者の運転は、少し悪く、スピードの出し過ぎ、一旦停止指示標識の無視などが指摘されていました。

その後で困ったのは、最近の視力低下の影響で、裸眼視力が0.5、前方の強いライトの照射の中での視力が不合格でした。白内障が進行しているので、携行して行った近視対応のメガネを掛けて検査を受けるべきでした。しかし、それで不合格の判定を受けなかったので、講習会受講修了証を受け取ることが出来ました。これを持って最寄りの警察署で免許証の更新を受ければ大丈夫です。

もちろん、久し振りにメガネ着用が条件付きになるのは覚悟の上です。55年昔に初めて免許証を取得した当時はメガネ着用の条件を付けられていましたので、加齢の為すことですから、気にしていません。2〜3日後には更新手続きをする積りです。

それから、眼科医院に出向いて白内障の手術のための指導ことを予定しています。

それにしても、加齢に伴う不便を感じる1日でした。3年後に再び訪れる更新を行うか、思い切って、免許証返上を決心するかは、その当時の心境で決めることになるでしょう。

今日は知的発達障害児の水泳の見守りをしました。それでも疲れました。

相手の児童は素直でニコニコしてくれるし、対話はあまり活発ではありませんが、水の中で泳者について歩くだけで結構足が疲れます。プールの中で歩くリハビリが効果が高いという理由が分かる気がします。

今日はクロールでの息継ぎに向上が見られたので気分良く帰宅して来ました。今までは少し頭が天井に向かいすぎるのが気になっていたのですが、それがインストラクターの目に止まって、スポンジ板に手を置いて泳ぐ方法で支持してもらったら随分と改善は見られました。本人もご機嫌でした。

金貸しでの滞比資金の補充を思い止まった日本人高齢者、5日に訪比します

フィリピンでの生活を通して、恒久的に思いとどまって欲しいところですが、どうなることやら。所詮は、私の関与のできる範囲外のことなのですが、取り敢えず、長期滞在のビザを申請するために現地に向かうことになったとのご本人の意向を知らされました。

セブ在住の私の現地人の友人ですが、兎に角、世話付きで私の頼んでないこと、当の日本人高齢者も了解していないことまで率先して世話をしてしまうので、厄介なのです。

それでいて、その高齢者が死んだ時には不可避となる「葬式や遺骨の一時保管などまで面倒をみてあげなくてはならない」ことなど、お前(即ち、私)は分かっているのかと言って、議論を止めようとしません。「そんなことの世話まで、あなたにやって欲しいと頼んだことなどありません」「長期滞在者の相談に乗る政府の所轄部署がありますし、同伴の妻なり夫が、自分たちでは出来ないと思うなら、日本の兄弟や親族の応援を頼むでしょうし、あなたにも助言や支援をお願いするでしょうが、そんなことは、今、あなたが世話をしてあげると決め込まないでも良いでしょう」「そういうことまでは出来ないよ」と言ってくれれば、他に方法を考えますよ」と私は言いたいのですが、こういう議論の相手を私がすべきか迷ってしまいます。

「誰がやることになるのか?俺にやれという積もりなのか?」ぐらいに質問を止めてくれたら話が進めやすいのですが、手前勝手に責任を背負い込んで、「その時に自分が他界していて(現地人の)妻が世話をせねばならないだろう、そこまで、俺は心配しているのだよ」と言うのですから、私の手に負えません。

あれだけ、「兎に角、滞在ビザが取れてから、具体的なことを相談したり、議論をして、引き受けてくれること、引き受けられないことを決めて了解を取り付けるべきだ」と強調したのに、こうなるのですから、これがフィリピン人気質なのでしょう。

疲れます。兎に角、議論はこれまでにして、6月5日の当の夫妻の現地への到着後に何を言ってくるかを待つことにします。