新元号の発表で、今日から『令和で最初・・・』のセリフで気取るのでしょうか?

ようやく新元号が決まり、「平成最後の・・・」が聞かれなくなりやれやれですが、今日からしばらくは、「令和で最初の・・・」の気取ったセリフが耳障りに横行すると思うと始まる前からウンザリしてしまいます。

日本人というのは、本当にお祭り騒ぎが好きな民族ですね。

久し振りに大阪在住の同期の友人と会食しました

私用で大阪の自宅から東京に数日逗留するとのことで再会すしたのですが、場所はJR品川駅近辺のタワービル。軽く昼食を取り、その後、近辺のTully’sコーヒーショップでカプチーノをすすりながら、結局、延べ約3時間、彼自身が実娘のために立ち上げた訪問看護ステーションの運営内容の情報はいつも通りに参考になりました。

このブログでも昨年末以来時々話題にしている同年入社・定年退職した友人の闘病と今後の生活応援などについて意見交換をしました。幸いに二人とも表面上は健康体なので、前向きな話題ばかりで楽しかったです。

ところが、彼と分けれて携帯電話をどこかに置き忘れたことに気付いたので、心当たりの上記の懇談場所に直行したところ、最初の二人で昼食をしたレストランの食卓の下に落ちていたのを店員が見つけて保管してくれていました。私の所有物であることを証明するために、別の手持ちのスマホからその電話にダイヤルしようとしてら、番号を覚えていなかったので、拙宅に居る妻に教えてもらったりして慌てました。要するに、そのレストランでの支払いに友人が急いだので、私の注意力が散漫になったので、電話機が床に落ちる音に気づかなかったようでした。

折からの加齢に伴う不都合を話題にしたので、自分自身の老いが更に進行したのかと思い、些か、気分が落ち込みました。

25日に申請した比国向け車椅子寄贈の認証宣書を受け取って来ました

即刻、東京・六本木の比国大使館の近辺にある郵便局から国際郵便宅配便で通関して現地の障害児施設に寄贈するパートナー宛に送付手配をしました。当該貨物を載せた船が4月5日にマニラ港に到着する予定前の2日には、そのパートナーに届くはずです。

今度の寄贈で、当国に送り込んだ車椅子は930台になります。あと一度送れば、累計で1千台を超えることになります。

ついでに満開を宣言された東京の千鳥ヶ淵の桜を見て来ました。ソメイヨシノ以外の桜の木は満開ではないせいか、本当の満開の景色には程遠く物足りない感じがしました。しかし、平日にも拘わらず、結構人出は多かったです。曇り空のために写真の写り映えは暗くて良くありません。

本年2度目の車椅子寄贈の認証の申請を比国大使館で済ませて来ました

勿論、寄贈品は90代の子供用車椅子ですが、恵まれない人々の福祉向上に資す目的の寄贈である場合には、被寄贈者の金銭的な負担の軽減のために、自国で課される関税を免除してもらう手続きを求めるのが通例なので、私の所属するNPOは送り主として、寄贈証明書を発行して、それに外務省の係官のサインと認証印を付与してもらった後に、寄贈される国の在日大使館で領事査証を取得して、その査証付きの寄贈証明書を相手国のパートナーに送って貨物の通関に使用してもらいます。

この手続きが些か込み入っていて、私はフィリピンに寄贈品を送る場合には毎回、最低、3回在日フィリピン大使館に足を運ぶ手間を取ることを引き受けています。今までに、こうしたことを数回扱って来たのですが、いつも、3回、居住地の横浜市から東京都下の立川市と都内の六本木に足を運んで来たので、その負担を減らしたいと考えて、昨日、それを2回の往復で済まそうしたのですが、結果として、かなりの体力を消耗してしまいました。

自慢することでもないのですが、先ず、いつもの通り、外務省の認証印を得るところまでの手続きを会の創始者である会長に引き受けてもらい、それ以降の作業を私が担いました。外務省の認証印を取るためには、彼が寄贈宣言書に送り状とパッキングリストを加えた3点セットを揃えて、所轄の立川市の公証人役場に出向き、公証人の面前で署名して、その場で、「私の面前で署名をするのを確認した」という趣旨の文章に公証人が署名を施すのです。ところがそれで儀式みたいな作業が終わる訳ではなく、その公証人の署名が真正なものであることを東京法務局の所長が確認して所長の確認印を押すのですが、それまでの「署名した」とか、「確認した」という文章は日本語で印刷された物です。そして、確認文に付された署名と押印が「事前に登録されているものと同一のものである」ことを、、証明する英文の文書に署名が施されます。この外務省による英文の真正証明書と署名が、フィリピン大使館が重要視するものなのです。そして、それらの全てのページがホッチキスで綴じられて各ページの綴じ目に証印が割印として押されて「1組の公正証書」として完成します。

その公証済みの書類を私が六本木の比国大使館の公証窓口に持ち込むのですが、その時に、上記の公証役場で公証された書類の表裏面全てのページをコピーして写し、添付用の副本の1通として添えて、合計正副の2通を提出せねばなりません。

ところが、その副本の1通を作成するのに予想外の手間を掛けねばならず、今回も苦労をしてしまいました。合計5枚構成となっていた正本書類を止めていたホッチキスの留め金を外して、1ページずつ、裏表をコピーするのに、連番となる前ページの裏面と次のページの表面に押されている割印の位置がほぼ同位置に合わさるようにコピーする要領が上手く得られていなかったからです。 [続きを読む...]

白内障の進行度合いを確かめるために眼科医の診断を受けました

2年近く前に白内障が進んで来ているのか、パソコンを操作すると右目を使わずに左目だけで画面を見ていることが継続してしまい、右目に映る場面が邪魔になり、いつの間にか右を目閉じて左目だけに頼って操作していることがしばしばになったので、行きつけの眼鏡店に行って何とか矯正できないかと症状を訴え改善をお願いしたのですが、結局、その店では、眼科医に診断してもらって、処方箋を発行してもらって再度店を訪問するように言われてしまいました。

そして私の居住地で評判の良い眼科病院に行って診断を受けたら、私の目をみるなり、即に、「ああ、これは白内障が進行しているからだよ。半年ぐらい経過して、また、来てごらん。それ次第で、白内障の手術をしてあげる」と気楽に言われました。しかし、その眼科医により白内障の手術を受けた後に新調したメガネの度が上手く自分の視力にフィットしないと感じた知人が、更に一年ほど我慢した後に、友人の勧めにより訪ねた別の眼鏡店で新たにレンズを購入した所で、「あなたの手術をしたのは、後継者に当たる医師であったはずだが先代の医師とはかなり腕が劣る息子だったからダメだったのだよ」という手厳しい評価を受けたと私に伝えてくれました。 [続きを読む...]

子供用のカーシートが寄贈に適しているかを議論しています

昨日、明後日に予定されている車椅子の整備作業は、今年度のフィリピン向けの2回目の80台余の寄贈に向けたものになるのですが、そこにカーシートを20台ほど含めても良いかとの問い合わせを受けました。

カーシートというのは、自動車の移動の際に幼児や児童をしっかりと乗せるための座席でして、特別に肢体障害児用に作られたものではなく、正常な普通の子供を座らせるために車内の成人用の座席の上に固定する物なのです。日本ではかなり普通にカー用品店で売られているもので、それらは肢体障害児の居る家庭でも購入されて使われているのですが、子供の成長に合わせて買い換えられ、使われなくなった物を私の所属するNPOに寄贈される車椅子と共に回収されて来ます。

数量はあまり多くないのですが、年間で20〜30台ぐらいになるのです。しかし、海外、特に、発展途上国では障害児の生活する家庭で自動車が所有される例は、先進諸国に比べると極めて少ないので、私たちのNPOにカーシートの寄付を海外から要望されることは滅多にないので、行き先の定まらないカーシートが倉庫に滞留して来たのです。

フィリピンにも寄贈されたことがないので、私は、直ぐに、同国での寄贈に協力してくれているパートナーにカーシートの寄贈を希望するか否かを問い合わせたのですが、反応は余り前向きではありませんでした。

考えてみるとこれらのカーシートは障害児家庭ではない、一般市民の家庭で必要される例が多い訳ですから、不用意に現地に送り込むと、一般家庭に寄贈されたり売られてしまう懸念があると私は予感していました。

いつも私の要望には快く応じてくれる比国のパートナーですから、寄贈を受けると返答をしてくるでしょうが、上記のような曖昧な寄贈になるのは私の本意ではないので、この件は、実施に送り込まないのが適切だろうと思っているところです。

久しぶりに落語同好会の例会に参加して笑って来ました

奉職した会社の仲間の集まりで今回は10人の参加でした。演技は余り面白くありませんでしたし、聴衆も少なく、芸の質もイマイチという感じで、何だか盛り上がりませんでした。家事の都合で、第2部の仲間との懇親会に参加できなかったので、物足りなさを感じながら、国立演芸場(東京・半蔵門)から帰途に着きました。勿論、次回も参加するつもりです。

東日本大震災記念日の今日、気仙沼市と陸前高田市での経験を思い出しています

カナダの大学で学習で生活を中断して一時帰国して、合計7回ボランティア活動をして色々な経験と知識を蓄積させてもらった両市の思い出が沢山あるのですが、そして再度カナダに戻ったのも束の間で、今度は、妻のパーキンソン病発症を発見したので、急遽、大学を中退して、日本に再度帰国して来たのですが、その後は一度も両市の被災地に戻る機会を求めないまま、7年が経過してしまいました。

被災地の人々の生活と街や自然の景観がどのようになって来ているのかを確認したい気持ちがある反面、あまり復興が進んでいない状況を見るのが怖い感じがして、両市に歩を進める勇気が起こらないというのが正直な心境でした。多分に、加齢による怠け心が募って決心ができないというのが正直なところであるようにも思っています。

テレビや新聞で復興の様子を知ることが今年の震災記念日の報道でたっぷり観ることが出来たのですが、陸前高田市のように12mも積土してしまったけれども、帰還する家庭も少なく、また、地主にも土地の活用計画が持てないということで、かなりの部分が活用の目処が出て来ないという、先の確たる見通しのないままに、防災対策をしたいという一心だけで突っ走ってしまい、今になって、その復興事業の正否に疑問が覆い掛かってきているなどのいう状況が報道されると、そういう拙速な復興事業がまだ各地で沢山起こってしまって来ているのかも知れないと想像されます。

何が良いのか悪いのか、公的資金の支援を最優先したことに反省が為され始めているということになると、どこでアクセルを踏み、どこでブレーキを踏むべきなのかについても、今後の被災地支援について、有益な反省が為されることの重要性を思い知らされた被災記念日となったようです。

確定申告書を書き上げました。明日、提出するつもりです。

昨年度も源泉徴収の税金を15万円も収めすぎたことが、私の計算では確定しました。この程度の金額の前払いが毎年繰り返されているのです。それほど高額でない年金だけで生活する国民に、このような過大な税金をピンハネし続けられる理由が理解できないのです。

これだけの税金を前払いさせられると、やはり、「取り戻さねば・・」との気持ちが起こりますから、毎年、確定申告をして、取り戻そうとするのは当然です。

全く、理不尽なことを今回もさせられました。

4月からの町内会会長を薦められ丁重に断りました

先の日曜日に来年度の町内会本部役員の候補者会議で生涯で初めて5人のジャンケンに勝って交通防犯部副部長のポストを獲得しているのですが、今朝、突然に副会長候補の二人の会員が拙宅に来られて、会長ポストを引き受ける意思がないかを問われて一瞬びっくりしました。

先週の役職の選択会合で会長職を、当日欠席した会員に押し付けるという些か理不尽な形で苦し紛れに全ポストを埋めるという結果に、当の欠席者が納得しなかったので、10年間会長職を続けて今回引退する予定の現会長が、上記の副会長候補者の2名に会長職を押し付けようとしたらしく、それに両名が納得できず、私にまでお鉢が回って来たと言う訳でした。

このままでは堂々巡りが続くと私も容易に推測ができたのですが、だからと言って現在の妻の病状では引き受ける訳にはいかないので、事情を説明して丁重に断りました。

もう一度、来年度の役員候補者が集まって議論することも含めて、私見を申し述べたりしたのですが、深入りしてはならないと心に言い聞かせて、お二人にお引き取り願いました。どのように解決されるのか、無責任ながら、見守ることになります。